観光ガイドの日常を綴りました。ガイドに興味のある方、どうぞご覧ください。


「大歌堂 中村邸」の特別公開報告 (H29.4.1~4.2)


京都御苑見学会の参加報告

 2月21日、雪が降る寒い日でしたが会員18名が参加しました。

  簡単な説明と写真がついた「京都御苑歴史散策マップ」を参考に、当会会員大田友紀子さんのガイドで、午前中は仙洞御所の拝観券を予約し、御所の周囲にある猿が辻・中山邸跡・桂宮邸跡・近衛邸跡等を巡りました。

  猿が辻では、八幡宮の本社に鬼門封じがあるように、こちらでは猿が鬼門封じに一役かっている違いがあること。中山邸跡では、明治天皇生誕の地で産湯に使った祐の井(さちのい)が残っていること。さらに、近衛邸跡では有名な糸桜や当時のまま残る池等に佇み、栄華を誇った近衛家の往時を偲びました。

  午後、蛤御門ではこの地が「禁門の変」の激戦地であったこと。禁門の変を見てきた清水邸の椋の木、豪華な建礼門、唯一小門で名前が付けられている「粽」で有名な道喜門、有栖川の宮跡などについて説明を受けながら一路仙洞御所に向かいました。

 仙洞御所・京都迎賓館・御所等は、従来は予約か特別公開時しか拝観できませんでしたが昨年からは、観光振興の為予約だけではなく当日券が配布され拝観しやすくなりました。

  午後1時30分から1時間、宮内庁職員の案内で江戸初期に小堀遠州が作庭した池泉回遊式の立派な庭園を散策し、州浜では、敷き詰められた石が、当時米一升と交換されて集められたと聞き一同驚きでした。

  その後は、ここで一旦解散し、誓願寺に向かうグループと閑院宮邸跡に向かうグループに分かれ、私達10名は、石清水八幡宮内にあったと言われている誓願寺の本尊阿弥陀如来像(通称:黒阿弥陀)を拝観し解散しました。

  寒い中、大勢の参加お疲れ様でした。                              (20170221 MN)

 

写真の説明 左上: 仙洞御所入口にて集合写真 右上:鬼門封じ、猿が辻にある猿の像

         左下:建春門にて説明を聞く    右下:仙洞御所内にて説明を聞く 


 平成29年2月11日 二月堂お水取りの竹送りを訪ねる 

  平成29年2月11日、前夜からの冷え込みで今年一番の寒さとなりましたが、会員5名で参加致しました。京田辺市観光ボランティアガイド協会の毎年恒例の人気企画で約40名程の参加がありました。

 JR同志社前駅に8時に集合し、竹送りの行事が行われる「普賢寺道の駅」へ約3キロメートルの行程を一路目指しました。9時過ぎに到着すると既に大勢の方が集まられ厳かに神事が行われていました。例年は、観音寺で行われていましたが、昨年観音寺の住職が亡くなられたことから今年のみ「道の駅」で行われました。

  我々も地元の方の奉仕による「大根炊き」を頂き心も身体も温まる事が出来ました。今年は京田辺普賢寺から「お水取り」の松明の奉納が始まって40年、節目となる年となりました。神事が終わると、「道の駅」から約10本の「奉納竹」を松明講社の方々と共に一般参加の我々も担ぎ約200メートル先の観音寺を目指しました。その後「奉納竹」は、トラックに乗せ松明講社の方々により「東大寺二月堂」へ運ばれていきました。

  我々は、その後「観音寺」の秘仏国宝十一面観音を住職の説明を受け拝観、山崎神社、竹取翁博物館等を巡り最終の寿宝寺では重文の「十一面千手千眼観音」を拝観し午後2時頃解散となりました。今回の参加の目的の一つに京田辺市観光ボランティアガイド協会との交流があり、熱心なガイドさんの説明により楽しく過ごすことが出来ました。本紙面にて改めて御礼を申し上げます。                                                                         (20170211 MN

 

 写真の説明

左:竹には願い事が筆で書いてあります 中:みんなで担いで竹送りスタート 右:奉納竹をみんなでトラックに積み込みます 


 京街道-舟と歴史ハイクの旅のガイド報告

 (背割堤展望台「さくらであい館」オープンプレイベント)

  お花見の名所、国営淀川河川公園背割堤地区に淀川舟運を復活する一環として船着き場が出来たお披露目と、来春3月25日にオープン予定の展望台のPRを目的に、三川合流地域周辺の史跡名所巡りと枚方からの船旅体験をセットにした初めてのツアーに、大阪市はじめ近隣の市からも39名が参加されました。11月12日、13日共に好天に恵まれ、日ごろ見なれない風景を楽しみ、新しい発見をして頂きました。 

船旅では、昔の三十石舟と同じ28人乗りのスマートな船が、綱引き人夫ならぬ四人の船員が、川底の深さを確認しつつ声を掛け合って航路を決めて進むという面白い場面を体験しました。川から葦の間を遊ぶ水鳥やのどかな水辺の風景を楽しみながら、土佐日記の紀貫之の船旅や、天王山での天下分け目の戦いなどを思い浮かべ、あっと言う間に時間が過ぎました。橋本駅~背割堤のハイキングでは、明治維新の楠葉台場(砲台)跡にできたばかりの史跡公園と北隣にあった橋本陣屋跡、奈良時代に行基ゆかりの山崎橋の管理もしたという久修園院、橋本の渡し跡や石清水八幡宮の参道でもある京街道・橋本沿いの常夜灯や数々の道標、旧花街の面影を残す橋本の町並み、飛行原理の発見をした二宮忠八の飛行器工作所跡、大阪夏の陣で敗れた豊臣方の長曾我部盛親の隠れ家など、千年の歴史を振り返る見所の多い旅でした。また、工事中の展望台を見ながら河川公園事務所の方から施設の概要を聞きました。参加者も我々ガイドも学び合った有意義な企画でした。                         (20161126TK)

  

写真の説明

 左:御幸橋を背割堤へ 中:背割堤船着場に停泊中の船 右:楠葉台場跡史跡公園にて


1116 神應寺で勉強会

 

 1116 秋津川会員(やわた観光ガイド協会)の案内・解説で、神應寺の勉強会が行われ、協会メンバー 13名が参加しました。
 開創860年、行教律師により創建された神應寺の山門をくぐり、木々に囲まれた170段の石段を登ると、神應寺のシンボルともいえる大イチョウがそびえたっています。黄色く色付き、11/2627日の紅葉まつりまでもつだろうかと少々 心配です。

 

本堂、開山堂、接賓、書院と 秋津川会員の丁寧かつわかりやすい説明で、数々の寺宝(行教律師坐像、豊臣秀吉坐像、徳川五代将軍綱吉公拝領大掛絡等)を拝見することができました。その中でも、紅葉まつりに公開される「八幡大菩薩篝火御影」は貴重な掛け軸です。 そして、京都市内、淀川を一望できる景色には驚かされました。まるで 別世界にでもいるような不思議な空間で、夕暮れの中、170段の石段を下りるとそこには 日常が待っていました。

 (秋の公開に先立ち、当寺のガイドを協会が担当しているため実施されました。)                       20161116AN

 

写真 左:お庭一望  右:勉強会風景(本堂にて)


10月26日  歴史散歩 京街道を歩く( 橋本~背割堤)

  10月26日、中嶋副会長の案内・解説で、表記の勉強会が実施され、やわた観光ガイド協会メンバー14名が参加しました。

   西暦725年、行基の「山崎橋」架設で橋本が誕生して以来、この地は水陸交通の要所として栄えました。京街道沿いの道標には石清水八幡宮の他、柳谷、山崎、あたご、そうじ寺と向こう岸の地名が多く見え、往時の賑わいを感じ取れます。樟葉砲台跡が整備され、随所に解説盤があって楽しく歩けます、旧橋本遊郭の風情ある町並みと対岸天王山の眺めが印象的でした。

 

写真 (左上)盛親の隠れ家で記念撮影 (右上)盛親の隠れ家〈全景〉    

           (左下)盛親の隠れ家傍で    (右下)橋本駅近くを散策

 

写真の「盛親の隠れ家」とは:悲運の「牢人大名」といわれる長宗我部盛親 は、大阪城の落城に伴い京都府八幡市       科手の民家に逃げ潜伏していましたが、食料調達に大阪城の小判を使用したため、露見し、捕われます。隠れ家は京街道に面しており、一見倉庫のようですが、高い石垣を積んで街道よりかなり高く、内の2部屋は床の間もある座敷で外見以上に立派な建屋でした。当家は京街道に面しており、盛親はこの街道を通るだろう徳川家康を襲撃しょうとしていたと考えられます。                            〈20161026 TK)


 10月20日 円福寺「万人講」参拝記

  平成28年10月20日、八幡の風物詩、「万人講」法会が円福寺でとり行われ、普段は静かな修行道場も老若男女で大いに賑わっていました。 

 円福寺は、1783年「臨済宗中興の祖」白隠禅師下四天王の一人と称される斯經和尚(しきようおしょう)が、石清水八幡宮別当田中家より円福寺の寺号並びに達磨尊像(重要文化財)、浅井周斎より土地の寄進を受け臨済宗最初の専門道場として建立されました。 

 「万人講」は、修行中の雲水が毎月、日供講中の各家を托鉢に回り、毎年4月20日と10月20日の春秋2回その講中先を招待し、この時開扉される達磨尊像を拝し、赤膳にて精進料理を頂くと開運、厄除、中風に霊験あらたかなりと、古来深く信仰されてまいりました。(残念ながら数年前から赤膳は廃止され折詰弁当に変更されたのは残念です。) 

 

江湖道場とかかれた山門を入ると数年前に新築なった本堂とその右側の達磨堂が迫ってきます。参拝は、数年ぶりでその変化に驚きながら、まず達磨堂へ、禅師から警策で肩及び背中にパンパンと「気」をいれて頂き、平成の達磨像を参拝しました。達磨堂の裏に回ると「南天棒誓詞の松」が目に飛び込んできます。南天棒和尚は、円福寺で修業、明治期に活躍した妙心寺586世で乃木希典に影響与えた高僧でその「手植えの松」が人知れず佇んでいます。 

次に、本堂にて本尊の達磨尊像を参拝の後、通称御殿(有栖川宮家旧御殿)へ、以前はここで法話が行われていましたが、現在は食事処となっていました。この御殿は、有栖川宮家が廃絶となった後、高松宮が引取り昭和3年に当寺に下賜された由緒ある建物です。当寺伽藍の中では貴重な文化財で末永く保存されることを願ってやみません。 

当寺参拝の楽しみは、気楽に法話が聞けることにもあります。今回は、妙心寺玉鳳院の土井玉鳳師が法話を行っておられましたが、法話が途中であった為聴講するのを断念し当寺を後にしました。               

  *注:日頃修行僧の食をささえる人々(信者)、にちぐ又はにっくこうじゅうと読む。           20161020MN


 

「ずいき神輿」と「伊佐家住宅」を訪ねて

  平成28109日(日)に「御園神社」の「ずいき神輿」とハイキングを兼ねた堤防ウオーキング・「流れ橋」および「伊佐家住宅」を訪ねました。参加者は20名でした。この日は皆様の日頃の精進が良かったため、朝の雨(午前6時まで大雨)も上がり、昨日までの蒸し暑さも和らぎ、涼しいほどの気持ちの良い天候で全行程を満喫しました。

 

(1)「ずいき神輿」について 

     「三笑」→「本殿内での神事」→「ずいき神輿前でのお祓い」 

→「無形民俗文化財に指定された天狗・獅子舞の奉納」

    今年は例年より獅子舞の口の音が大きく、豊作が期待されます。また、「ずいき神輿」の屋根は130本の芋茎にて形づくら

  れ、四隅にはナタ豆をかんぴょうにてくくりつけ、へちまにて鳳凰を飾りつけ、裏面には小豆で今年の干支・猿を描いてあ

  り伝統を引き継いでいる様子が伺われました。

 

(2)「流れ橋」について

   平成28327日に開通したばかりの「流れ橋」。 この前の9/20の台風16号による大雨にて危うい所であった。本当        75cm、橋を高くした効果が出ていたようです。この分だと、年内7万人以上の観光客は超えるであろうと思われます。

 

(3)「伊佐家住宅」について

   「伊佐家住宅」は約250年前の江戸時代に建てられた建築であり、伊佐家は代々庄屋を務めて来られました。昭和50年に            

  は重要文化財に指定されています。

   「厚い茅葺の屋根」、「桃山という赤壁」、「台所の様子」、「蔵の改造(50cmかさ上げ)」、「池に水がある状態(年     

  2日ほど)」、「床の間・座敷」、「ハレ(晴れ)の空間、ケ(褻)の空間」等々、その歴史・言われの説明が伊佐家のご  

  当主、奥様より丁寧に行われた。参加者も興味深々となり、質問も多く出て見ごたえのある見学でした。 

                                                                   (20161011TN)   


特別公開 : 泰勝寺・松花堂昭乗ゆかりの寺

 泰勝寺は、九州熊本地震の地震復興支援・祈願を行うため、特別公開を実施しています。何故、このお寺が、地震の復興祈願を行うのでしょうか。泰勝寺は、熊本にあった細川家の菩提寺の名前を譲り受けて大正年間に創建されたもので、そのご縁もあって特別公開となりました。 

近くにいながら中を拝見する機会がなかったのですが、やわたボランティアガイドのグループの一員として参拝をしてきました。素晴らしい寺であることを発見しました。 

 寺は、八幡宮山下(表参道の下馬碑・相槌稲荷のすぐ近く)にあり、門前には「松花堂旧跡」と刻まれた石柱があり、昭乗とのゆかりを感じさせます。入口で素敵な呼び鈴(写真参照)が出迎えてくれます。本堂の畳の間で冷たいお茶とお菓子をいただきながら、ご住職より寺の歴史をお聞きしました。 

目の前に広がる庭は、南天が多く植えられ、「南天招福 (難を転じ福を招く)」の庭と呼ばれ、現世(前庭)から三途の川を渡り三尊石のあるあの世に、さらに船に乗って極楽浄土の須弥山へ向かう様子を自然石と木々で表現しているとのことです。 

庭の飛び石を渡り、男山滝本坊にあった小堀遠州の作った茶席閑雲軒(復元)、さらに昭乗の墓にお参りし、貴芳殿を拝観。館内の「幸運月光菩薩像」は、左手に蓮の花と、右手に南天の枝をもつ木彫の菩薩様で、凛として内部中央に鎮座されています。禅では“月”は悟りを表すとされています。さらに館内には昭乗ゆかりの品々が展示をされていて昭乗の時代のイメージが膨らみます。

 

 次回公開日:10月16日(日)

  泰勝寺電話:075-981-0056

  住所   :京都府八幡市八幡平谷18

  アクセス :京阪八幡市駅徒歩7分

 

 (写真)

 ・入口から扁額を望む  ・扁額  ・入口の鈴 ・お庭の見学


9月16日開催:正法寺「観月の夕べ」に参加しました

  秋雨前線の影響でお月見日和といえるお天気ではありませんでしたが、徳川家ゆかりの正法寺で開催された「観月の夕べ」に参加しました。夕闇迫る中、受付が始まる前にも拘わらず、たくさんの方が列を作って待っていました。

   開場、受付(1830分)が始まると鑑賞料(500円)を払ってお庭に面した方丈前の縁側に順番に座りました。中には、本堂に参拝される方もおられました。

  本堂でお念仏が始まり(19時)、その後方丈前のお供え場所でも読経がありました。するとどうでしょう。今まで曇っていた空から満月の明かりが少し射してきました。ライトアップされたお庭と満月が優雅な雰囲気を醸し出しました。

  お茶菓子とお抹茶をいただき、よしぶえの演奏と謡曲「紅葉狩り」を聞きながら満月を見て、時折吹く秋風を感じるなんとも幽玄の世界を体験しました。お菓子がのっていた竹製の手作りのお皿はお土産に頂いて帰りました。

 その後、お庭にある蹲(つくばい)に映る満月を撮りました。本稿を読まれる方と感動を共有したいと思います。                                                                                                       (20160916 HM

 (写真)左上:お庭とお月さま 右上:お供えとお月さま 左下:蹲に映る満月 右下:お抹茶と一緒に頂いた団子と栗


石清水八幡宮瑞籬のカマキリと祇園祭「蟷螂山」の縁を訪ねて

 平成28年7月14日に石清水八幡宮・国宝指定を記念して当協会が企画した標記行事に協会メンバーを含む28名が参加しました

  石清水八幡宮で昇殿参拝の後、瑞籬(みずがき)のカマキリが、祇園祭の「蟷螂(とうろう)山のルーツ」と神職の方から聞き、みんな”びっくり”。山を下り、一路京都市内へ移動。

  蟷螂山町で、保存会世話役の方から、蟷螂山についてエピソードを聞き、山の見学を行いました。

  「”蟷螂の斧を以って隆車(りゅうしゃ)の轍(わだち)を禦(ふせ)がんと欲す”(注1)という中国の故事の説明を受け南北  

  朝時代、足利義詮軍に挑んで戦死した四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが“蟷螂の斧”のようであったとお聞きし、 

  更にその例えにびっくり」

  35年前、新しいカマキリ(石清水八幡宮に倣った)になった。旧のカマキリより大きくなり、動きも多様になった。」(写真  

  参照)

  「祇園祭の山鉾の中でからくり(動くもの)が施されている唯一のもの」

  「一時期、山の構成備品が売られ、それを取り戻すのに非常に苦労した」

  「懸装品の中には数千万円するものもあり、維持するのが大変である」

  「らち(山、鉾を囲む柵、覆い)の中に入り、蟷螂山の構造・カマキリの動かし方を見学。本番は5人でロープにより動か

  す。中は蒸し風呂状態で、動かすのが一苦労」

  「マンションが多くなり町内で山を運営することが厳しく、将来が心配である」

 等々、本当に苦労されている様子が肌で感じられました。

 今後とも、蟷螂山保存会が石清水八幡宮と、より密接な関係を持ち続けられることを期待します。

  

      (注1)カマキリは、斧に似た前足をあげて進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえ   

     りみず相手に立ち向かっていきます。又、「カマキリが人間だったら天下をとっていただろう。」と四  

        条隆資に掛けて言っています。

  (注2)「らち」が開かないと言う言葉の語源。ただ、『「らち」は開きます』との説明後、中に入って大笑い。                                                                            

                                                                     (19160714 NT)


流橋と浜茶を訪ねて

515()、やわた観光ガイド協会主催の『日本遺産、日本茶800年の歴史散歩「流れ橋と浜茶を訪ねて」』に参加しました。参加者は会員を含め24名で、浜茶の摘み取りを見て、3月に開通したばかりの長さ356mの流れ橋(上津屋橋)を往復しました。そのあと製茶工場で碾茶(抹茶用のお茶)の製造工程を見学、美味しい冷茶もいただきました。最後に、流橋焼の喫茶去さんで、お茶インストラクター、松田氏によるお茶の入れ方の解説を聞きながら、和菓子源氏巻と冷たい碾茶(冷茶)と抹茶をいただきました。参加者に「夏も近づく八十八夜」の雰囲気を味わっていただきました。


 5月11日 第3回新人勉強会の実施

5月11日、単伝寺にて昨年の新入会員を含め協会メンバー13名で勉強会を実施しました。中村会長より単伝寺の概要(走り大黒天・救苦観音・五大釈迦の言われ)の説明があった。また、この寺は”落書き寺”と言われる如く、大黒堂内部の白い壁に、努力だけでは成就できない願い事が隙間なく書かれ、仏頼みで満杯でした。


 5月4日開催、石清水八幡宮、灯燎火の奉仕活動に参加

午後7時30分から9時30分まで、5名が献灯の受付補助業務に参加しました。今年は、旧来(昨年は4月)の5月4日に実施され好天に恵まれたこと。本殿が国宝に昇格したこと。京阪電車のPR効果等が相まって例年を大幅に上回る参拝者で賑わいました。特に昇殿参拝は人気で30分以上の行列待ち、邦楽の生演奏には多くのファンが聞き入っておられ好評でした。 


3月30日、石清水八幡宮美化活動に参加

 3月30日午前10時より12時まで、当会の有志6名が、石清水八幡宮社域の清掃奉仕活動をしました。


「水辺の散策2016」(大山崎ふるさとガイドの会)の紹介

 八幡市の対岸で活動している大山崎ふるさとガイドの会は、会員数約70名で構成され、大山崎町歴史資料館を活動拠点としています。新メンバーは3年ごとに10名程度募集し、自然減を補っています。年中行事となっている散策ツアーは4コースあり、春秋冬のシーズンに合わせて、年4回開催されています。また毎月、地元の歴史等の研修会を開催しているそうです。設立して22年(?)になります。

 3月26日(土)、「水辺の散策コース」に参加しました。参加者は208名、ガイドは全員で約40名、参加者は10名程度のグループに分かれて約8Kmのコースを歩きました。上段の写真のように、緑色のヤッケとベージュ色の帽子が制服です。

 主要ポイントには、説明員が充実した内容の説明資料を用意して待機していました。

 上段左は、山崎の渡し舟を説明しています。上段右は三川合流点の説明をしています。下段左は、嘗て存在した山崎橋の様子を分かりやすい絵を使って説明しています。下段右は、桂川右岸の陸生ヒメボタル(天然記念物)の群生地を説明する説明板です。

 対岸の背割り堤の桜は、2分咲程度でした。天王山の桜も、まだ1-2本しか咲いていません。

 ガイドの方々の詳細かつ親切な説明に感動し、最後にサントリービール工場を見学して、ほろ酔い気分で解散。充実した1日(朝9時から午後4時まで)を過ごしました。参加料は300円でした。

 


「いばらき観光ウォーク(阿武山縦走:茨木観光ボランティア)」の紹介 

 茨木観光ボランティアは、茨木市観光協会に直接所属するボランティア約20名で構成されていて、「ガイド会」のように組織化されていません。ガイドの必要な行事は毎月1回催行されています。

 3月5日(土)、阿武山縦走に参加しました。参加者は約60名、茨木観光ボランティアガイドは4名、茨木市観光協会女性職員1名で、全体が1列となって 山道を10Km歩きました(山道。健脚向け)。左端の写真に見るように、ガイドさんは茨木市のマスコット「茨木童子」のマークの付いたヤッケを着用し、茨木童子の旗を持って前後に分かれ、終始、参加者の安全を気遣っていました。

 写真中央は阿武山頂上(標高281.2m)です。右端の写真は、中臣(藤原)鎌足の墓です。昭和9年に発掘されましたが、ミイラ化した遺体(髭も髪もあり、一部切り取ったサンプルが現存するとのこと)は、新しい棺に入れて、すぐに埋め戻されたそうです。その際に撮影されたX線写真から、死因となった落馬骨折の跡が確認され、当時の最高冠位である織冠も発見されたため、被葬者が中臣鎌足であると、1987年に朝日新聞で報道されました。

 

 ◎ 茨木童子:大江山の酒呑童子の第一の家来で、源頼光の鬼退治の時には、渡辺綱と戦い、途中から逃げ延びました。後に一条戻り橋で渡辺綱に遭遇し、腕を、安綱作の名刀「髭切り」で切り落とされました。その後、茨木童子は腕を取り戻すため、渡辺綱の屋敷に行き、無事腕を取り戻しました。名刀「髭切り」、または「鬼切り」の実物(国宝)は東京国立博物館にあります。


「考古学から見た京都の歴史」講演を聴講しました

石清水八幡宮と一寸法師の関係は見つかりませんでしたが、「古代史の謎百問百答(関裕二)」のQ.71には、「石清水八幡宮の伝承によれば、八幡神(応神天皇)は、誕生した時、すでに三歳の童子で、竹の葉の上に出現したとあるので、一寸法師に似ている」という記述があります。また、「一寸法師殺人事件(田島恒)」のP.79にも「一寸法師は、応神天皇をモデルにした」という説が紹介されています。また、応神天皇の子の仁徳天皇が一寸法師のモデルだという話もあります。

http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch/issunbousi.htm  

 おとぎ話なので、モデルについてはいろいろな憶測が可能ですが、「石清水八幡宮は、一寸法師とは無関係です」というのが正しい答えだと思います。