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令和2年 研修旅行

やわた観光ガイド協会ではお客様の少ない冬の時期に会員の研修のために他の名所旧跡を訪ねています。今年の研修先は名古屋で、218日行って来ました。

江戸時代、今の名古屋は尾張徳川家が治めていましたが、その藩祖である徳川義直公の御母堂であるお亀の方は八幡の正法寺の出身で、その方のお墓が名古屋の相応寺というお寺にあるというで、今回はその相応寺と義直公の居城であった名古屋城の本丸御殿を訪問。途中で熱田神宮にも寄りました。

本堂にお参りして、前野住職から、「お亀の方(相応院)が江戸で亡くなられた後、大行列で棺が今の名古屋東区にある高岳院に運ばれ、葬儀供養が行われ後、一周忌としてこの相応寺が建立された。」「建立当初は、今徳川美術館がある辺りにあり、昭和9年に京都東山をモデルにした景観づくりとの都市計画で現在地(千種区城山町)に本堂、総門、山門、鐘楼などが移転した。」「ご本尊は阿弥陀三尊像で、その前に置いてあるのが相応院のご位牌。」「仏前の花は相応院が好んだボタンの花で、欄間の中央にもボタンが透かし彫りされているなど、女性らしい優しい造りの建物だと言われている。」などのお話を伺いました。また、山門と本堂の額はいずれも義直公の自書と資料にありました。

 

ご住職によると、昨年お亀の方を題材にした舞台公演があったそうで、好評につき今年の秋に再演が決まっているとか。「尾張名古屋は母でもつ」といった題名で、どんなお亀の方として演出されているのか?ぜひ公演を見たいものです。

相応寺を後にして向かったのが、熱田神宮。熱田神宮は12代景行天皇の御代、東征中に亡くなった日本武尊(やまとたけるのみこと)の神剣を、妃(きさき)が熱田の地祀り、以来伊勢に次ぐ別格の宮として延喜式明神大社・勅祭社として国家鎮護の宮となった由緒ある神社です。

本殿に拝礼に行く途中で日本三大塀の一つである信長塀に寄りました。この塀は織田信長が桶狭間への出陣の際にこの神社に必勝祈願し、勝利したお礼に奉納したといいます。瓦を積み上げ漆喰で固められて分厚く相当頑丈な造りに見えました。因みに三大塀の残りの二つは「三十三間堂の太閤壁」「西宮戎神社の大練塀」です。

本殿前まで行くと、本殿と向き合うように背丈よりは高く長さは4~5mほど板の塀がありました。「蕃塀(ばんぺい)」と言うのだそうで、伊勢の内宮にあるのが有名とか。「本殿を正視しない(出来ない)」ためとか複数の説があるようですが、その正確な目的は不明だそうです。

 

本殿の建築様式は伊勢神宮と同じ神明造りで、独特の屋根の形が荘厳さを醸し出しています。主祭神は熱田大神で、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)をご神体とする天照大神です。

本殿参拝後は宝物館へ。熱田神宮には草薙剣があることから、多くの刀剣が奉納されていて、刀剣の展示が沢山ありました。特に目立ったのが、宝物館に入ってすぐ正面にある大刀。説明書きによると、「姉川の合戦で、朝倉家家中の真柄直隆(まがら なおたか)が使ったとされる大太刀。『信長記』には、五尺三寸(160cm)もの大きな刀であったと記載されている。」とありました。こんな長い刀を振り回して戦をしたとはちょっと想像が出来ません。

今回最後の目的地は名古屋城本丸御殿。この建物は尾張藩初代藩主義直公と春姫との婚儀の御殿として家康の命で建てられた建物で、義直公がここに住んだのは5年ほどで、その後はこの建物は江戸の将軍が上洛する際の宿泊場所として利用されたそうです。

 

この建物は、昭和になって、国宝第一号に指定されたものの、太平洋戦争空襲によって天守閣とともに全焼。天守閣は1959年に鉄筋コンクリート造にて再建されましたが、本丸御殿の再建は遅れて、2009年から復元工事が始まり、2018年にすべての建物が復元され、現在一般公開されています。

本丸御殿は近世城郭御殿の傑作と言われ、13棟の建物で構成されています。

まずは「玄関」。ここは二部屋あり、襖や壁には虎が描かれた「竹林豹虎図」、天井は「竿縁天井」といった設え。

次の「表書院」は五部屋。花鳥を描いた障壁画で、一番奥に上段の間があり、ここが藩主の座と言われ、天井は折り上げ小組格天井。

 

「対面所」は四部屋あり障壁画は京都や和歌山の四季を描いた「風俗図」、ここの上段の間の天井は格縁が黒の漆塗で金の金具を使い二重折り上げ小組格天井。

次は鷺の障壁画ある「鷺之廊下」を通って「上洛殿」へ。

 

ここは本丸御殿ではもっとも格式が高い場所で、部屋の設えが見事です。

まず、障壁画は狩野探幽の王の正しい行いを描いた「帝鑑図」。そして「雪中梅竹鳥図」。彫刻欄間も華やかで大きくて立派です。

 

一之間の天井の格縁は黒漆喰に金の金具を使い、更に折り上げ格天井で天井板絵は狩野探幽の門弟達の作だそうです。

ところで上洛殿の二之間には琴棋書画図がありました。八幡の正法寺にも同様の絵がありますが、本丸御殿のそれは新しいのと図柄が大きく、伸びやかで明るい感じがしました。

部屋の設えもさることながら、あちこちの飾り金具も大層手の込んだ工芸品でそれを再現した現代の職人技は見事としか言いようがありません。特に花熨斗形釘隠は豪華絢爛。時の権力者が贅を尽くした建物ならではの飾り金具で、それだけでも見る価値があります

名古屋城ではガイドさんに案内をお願いしました。私たちの班のガイドさんは、大阪出身の稲継さんで、ガイド歴は5年で、今日は名古屋城でのガイドだそうです。ボランティアのガイドは市の組織が別にあり、そちらでもガイドをされているとのことでした。英語のガイドは一般ガイドとして別組織があるそうです。このところコロナウイルス騒ぎの影響で、特に中国からのお客様がめっきり少なくなったとおっしゃっていました。

 

今回の研修は名古屋で少し遠方ということもあり、どの場所でも時間に追われる見学となりましたが、見所満載で充実した研修旅行でした。

 

2020.3 文・写真 広報 森)